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真田丸 キャスト 真田大助に浦上 晟周(うらがみ せいしゅう)さんに決定! [真田丸]




信繁の子・真田大助は浦上 晟周(うらがみ せいしゅう)さんが演じられます。









浦上 晟周.jpg
引用:Yahoo!検索





真田丸で、新たなキャストが決りました。


大坂の陣でも信繁と共に戦った重要な役どころ


真田大助を浦上 晟周(うらがみ せいしゅう)さんが演じられます。























真田大助ってどんな人物?










真田大助.jpg
引用:Yahoo!検索

















真田大助は、真田信繁(幸村)の嫡男で

真田 幸昌(さなだ ゆきまさ)と称されています。

「大助」とは通称です。


母は竹林院(大谷吉継の娘)です。



大助は、父・信繁が関ヶ原の戦いの後に高野山に流され、

紀伊国の九度山に蟄居していた時期に生まれています。


「幸昌」の名ですが、諸説はありますが

祖父・真田昌幸の名を逆にして幸昌と命名されたと言われております。















真田幸昌.jpg
引用:Yahoo!検索














慶長19年(1614年)、豊臣秀頼から密書を発せられ信繁は大坂入城を決意しますが、

大助も父とともに九度山を脱出して大坂城へ入っています。



翌年の大坂夏の陣で道明寺の戦いに出陣しており、

敵の武将の首を取る活躍をしていますが、手傷を負い、


主君の豊臣秀頼が和議を検討しているという噂があるから

それを阻止するよう信繁にに言い含められて、

秀頼を見届けるように命じられたとされています。


この時、大助は父とともに最後まで付き従うつもりでしたが、

父の命令には逆らえず、やむなく大坂城に引き返したといわれております。


大助は、大坂城落城時まだ若年であり、また豊臣に特別な恩顧もないことから

速水守久らから脱出を勧められましたが、それを拒んでいます。

そして秀頼の切腹に殉ずる事を決めたといわれております。


なお、死の経緯については諸説あり、はっきりとしませんが、

大助は、「我は真田左衛門佐信繁の倅なり」と叫んで介錯を加藤弥平太にして切腹したとも、

加藤と刺し違えたとも言われておりますが、はっきりとした事はわかっていません。


また別説の『老将座談』では、秀頼の命で加藤弥平太と武田左右吉が

介錯をするように定められたともする説もあります。

享年についても13から16の間で諸説あります。


墓所は和歌山県九度山町の善名称院ほかに

いくつかの場所が伝承されております。

また、父の信繁同様に各地に生存伝説が残っています。














浦上 晟周さんの気になる話題です。








<真田丸>草刈正雄と“孫”浦上晟周が大阪に 「真田の遺志を継ぐ」
引用:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160917-00000019-mantan-ent




浦上 晟周 ツーショット.jpg
引用:Yahoo!検索



NHK大河ドラマ「真田丸」で、真田昌幸を演じる草刈正雄さんと

主人公・真田信繁(堺雅人さん)の嫡男・大助役の浦上晟周(うらがみ・せいしゅう)さんが

17日、大阪歴史博物館(大阪市中央区)で開催中の「特別展 真田丸」のイベントに登場した。


浦上さんは、大助の祖父・昌幸役の草刈さんを前に

「昌幸さんから信繁さん、そして大助へと真田の遺志を継ぎ、

普通の少年が武士として成長していく姿、

そして大きな戦の前の家族の温かな時間も見ていただけたら」と語った。


 また、草刈さんは、4日に放送された第35回「犬伏(いぬぶし)」について

「自分にとってやはり特別な回。信繁役の堺雅人さんや信幸役の大泉洋さんも

『犬伏』を楽しみにしていたと思います。

いつもは撮影前も和気あいあいとしているのですが、その日特別な空気があった」と振り返った。


 草刈さんは今後の見どころについて

「三谷(幸喜)さんの脚本はスピードが早いので、

九度山に行ってからの年月の流れの早さにびっくりするかもしれません。


九度山に行ってからも昌幸は変わりませんが、

衣装などから寂しさを感じ取っていただければ。昌幸としては息子二人の成長が楽しみですね。


『犬伏』では息子二人の大きな成長を感じ、うれしくも寂しくもありました。

今後も二人の成長を楽しみにしています」と語った。
















<真田丸>16歳の浦上晟周 大河初出演で真田大助役に抜てき
引用:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160917-00000008-mantan-ent






俳優の堺雅人さんが主演のNHK大河ドラマ「真田丸」で、浦上晟周(うらがみ・せいしゅう)さんが

主人公・真田信繁(堺さん)の嫡男・大助を演じることが17日、分かった。

浦上さんは「ボーイズ・オン・ザ・ラン」(テレビ朝日系)や

「家族ゲーム」(フジテレビ系)などに出演経験がある16歳の若手俳優で、

大河ドラマに出演するのは初めて。


 真田大助は、九度山で生まれた信繁の嫡男で、母は春(松岡茉優さん)。

父に従って大坂に入城し、幼いながら冬の陣と夏の陣の二度にわたって徳川と戦い活躍する。


 ドラマを手がける家冨未央プロデューサーは、浦上さんの起用理由を、

「大助を決めるオーディション会場に現れた浦上さんは、どこか引っ込み思案で、

異質な空気感を放っていました。しかし、お芝居が始まると、

監督も私もその演技に目がくぎ付けに。


口数は少ないけれど“信繁DNA”を秘めた感性豊かな真田大助が、

彼に重なりました。堺さんと浦上さんが演じる父子の姿は、

真田丸のレジェンドになるはずです!」と話している。














浦上 晟周さんのプロフィールです。






浦上晟周2.jpg
引用:Yahoo!検索






本名:同じ

生年月日:1999年11月23日(16歳)

出生地:日本の旗 日本・東京都

国籍:日本

身長:157cm

血液型:A 型

職業:俳優・タレント

ジャンル:テレビドラマ・CM



公式サイト:アミューズによるプロフィール
http://artist.amuse.co.jp/artist/uragami_seishuu/



主な作品

『Nスタ』(お天気キッズ、2010年)

『家族ゲーム』(沼田茂之役、2013年

実は『家族ゲーム』では嵐の桜井翔さんとも、共演されています!。








以上、真田丸 キャスト 浦上 晟周さんについて、まとめてみました。




















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最後までご覧頂き、ありがとうございました。









真田丸 ネタバレ 38話 悲し~い!不遇なまでの昌幸・信繁親子 [真田丸]


お願い!パパ、行かないで![もうやだ~(悲しい顔)]




すっかり、年老いてしまった昌幸パパ

真田丸 38話 昌幸.jpg
引用:Yahoo!検索




















ネタバレです。ご注意を!





















信繁と昌幸は、信之の尽力により命だけは助かりましたが、

信州からはるかに離れた九度山に幽閉されてしまいました。


そして村から出ることすら禁止されてしまいます。

信繁は、むなしいながらも山歩きをしたり、畑を耕したりとが平穏な日々を送る。


ですが嬉しい事も起こりました。春が信繁の子供を身ごもったのです。

真田の人々は手放しでその事を喜びます。



一方の昌幸はいつか赦免され故郷に帰れると信じていました。

ですが、一向に赦免の沙汰は下りません。


昌幸はすっかり年老いてしまいました。

「ひょっとしたらわしらはもうここから出られんのかもな」と出る言葉は気弱なことばかりです。


どんな時でも諦めることのなかった昌幸が見せた初めての弱気な言動でした。



その一方で、信之は家康に何度も赦免を願い出ていましたが、

何度願い出ようが、家康は赦免する事はありませんでした。


そうしているうちに、10年の時が流れてしまったのです。



信之はそれでも諦めずに、

北政所の侍女をしていた通という女性に橋渡しをお願いをします。


ところが信之は通と出会った瞬間、運命的な物を感じます。

この通とは何物なのでしょうか?



慶長8年、家康は征夷大将軍となり、

武家の頂点を極め天下に号令を発して行きます。


家康は徳川の世はますます盤石するためにそれから2年後

征夷大将軍の地位を秀忠に譲ります。



そんな中、家康は久しぶりに秀吉の嫡男・秀頼と会います。

久々に見た秀頼は想像以上にたくましい若者に育っていました。


その勇ましい姿に一抹の不安を覚える家康でしたが、

その事が家康に、ある事を決意させるのです。

さて、その事とはいったいどんな事なのでしょうか。















以上、 38話 悲しくも、不遇なまでのネタバレをお伝えさせて頂きました。[もうやだ~(悲しい顔)]



















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真田丸 感想 37話。皆さんのつぶやきをまとめてみました。 [真田丸]





皆さんのつぶやきをまとめてみました。



























































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































今回も、コミカルな書き込みがあったり、



はたまたネタバレもあり、



トッテトモ、面白かったです。



さすが、「真田丸人気健在!」


と、言ったところでしょうか。








以上、37話の皆さんのつぶやきについて

お伝えさせて頂きました。













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真田丸ネタバレ情報!刑部の介錯人”は愛之助さんの愛弟子! [真田丸]






37話のネタバレ情報をお伝えいたします!














真田丸 37話.jpg
引用:Yahoo!検索





「真田丸」“刑部の介錯人”は愛之助さんの愛弟子!



こんな記事がありましたので、

気になって調べてみましたら

ネットで掲載されておりましたので

ご紹介させて頂きます。











この方が、刑部の介錯人の湯浅五助を演じられる片岡愛一郎さんです。

真田丸 片岡愛一郎.jpg
引用:Yahoo!検索












引用:Smartザテレビジョン
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160917-00000036-the_tv-ent



大河ドラマ「真田丸」(NHK総合ほか)9月18日(日)放送では、

石田三成(山本耕史)と大谷吉継(片岡愛之助)の最期が描かれる。

前回放送では、佐助(藤井隆)の報告の中で三成の敗走と吉継の戦死が語られたが、

今回はどのように死を迎えたかが回想の形で明かされる。




その中で、切腹する吉継に命じられて介錯(かいしゃく)を務め、

その首をはねる家臣・湯浅五助を演じる片岡愛一郎を直撃。


愛之助の弟子として常に行動を共にする彼は、

愛之助がドラマ「半沢直樹」(’13年、TBS系)でオネエ口調の国税庁検査官・黒崎駿一を演じた際、

役作りの参考にしたという人物。



そんな愛一郎に、大河初出演の感想と、“若旦那”と呼んで慕う愛之助の介錯人という大役について聞いた。



――まずは、湯浅五助役での出演が決まった経緯を教えてください。


詳しくは僕も知らなかったのですが、前から愛之助若旦那が、

三谷(幸喜)さんと「(愛一郎にも)出番があったらうれしいです」と話してくれていたそうです。


そうしたら、後になって三谷さんから若旦那に

「愛一郎さん、出してもいいですか」と連絡をいただいて、

吉継の家臣役を務めさせていただくことになりました。


歌舞伎以外では実在した人物を演じるのは初めてですし、

器用な方ではないので、出演者の皆さんのレベルに到達するのは難しいかと思いますが、

なんとか近づけるよう努力しようと思って演じています。



――愛之助さんの家臣という立場ですが、五助役についてはどのように感じましたか?


正直に言って驚きました。

実は、愛之助若旦那と一緒に大谷刑部(吉継)のお墓に行ったのですが、


隣に湯浅五助のお墓があったんです。それを見て、

「こういう役は、有名な方がされるのだろうな」と思いながら、撮影中の若旦那の無事を祈っていたのですが、


まさか自分が演じさせていただくことになるとは思ってもみなくて、今でも驚いています。



――五助にとって吉継はどんな主だったと思って演じていますか?


吉継と五助の主従関係や、五助の主を思う気持ちというのは、

若旦那と自分の関係とリンクする部分があると思って演じています。


僕は結局、吉継と言いながら若旦那を見ているので、

上司であり師匠であり、すごく大切な存在で守るべき人というふうに見ています。



――普段の愛之助さんは、愛一郎さんから見てどんな方ですか?


お芝居に関してはすごく厳しいですが、普段は自分から場を盛り上げてくれる方です。

師匠と弟子という関係ではありますが、よく笑わせていただいています。


舞台・撮影・移動と一緒にいる時間は多いですが、

いつも自分のことより人のことを考える方だなと思います。




――これまでの作品と今回の「真田丸」で、愛之助さんの演じ方や取り組まれ方の違いは感じましたか?


いつもは、(役に)若旦那自身と近い部分がある程度あるように思うのですが、

今回の吉継は普段と違って近寄りがたい雰囲気があると感じました。


一緒のシーンがあったときに、楽屋までは普段の若旦那でしたが、

撮影に入った瞬間に別人のように思えました。


「いつもの感じじゃない…」と思って、それだけに自分の居場所がないような気がしました。

ですが、それで「そうか。この人はもう吉継なのだから、

僕もいつまでも愛一郎になっていてはいけない」とも思いました。




――9月18日(日)放送では吉継が切腹。五助はそれを介錯する立場ですが、撮影を前にしてどんなお気持ちですか?


ものすごく緊張しています。

皆さんから「どうするの?」と聞かれるのですが、どうしたらいいんだろう、と。


自分が大切に思っている人を自分の手にかけるというのはつらいことだなと思います。

とても悲しいけれど、忠義を尽くさないといけないという五助の思いを、

たった一言のせりふで表現するシーンですから、考えれば考えるほど恐ろしい


。とても貴重な経験をさせていただいているんだなと思います。




――愛之助さんとはお話をされましたか?


「とにかく、俺の首を敵に取られないように、という一心でやってください。絶対に逃げ延びるという気持ちで」

と言われて、「はい、はい」とただうなずくばかりでした。




――しかし、直前の9月10日放送では、吉継が死んだという事実は佐助の報告の中で明かされました。“超高速関ヶ原”とも呼ばれましたが、この台本を読んだときはどう思いましたか。


僕もびっくりしたんですよ、

「え、1行!?」と思って。ただ、驚きつつ、五助が介錯するシーンはないのかと思って、

少し緊張がほぐれました。


「演じてみたかったけれど、仕方ないな」と思っていたら、

次の台本を読んだら「やっぱりある…」とすぐに緊張が戻りました(笑)。




――大河は今回初出演ということですが、現場の雰囲気はいかがですか?


“本読み”というリハーサルがあるのですが、いらっしゃる方も豪華な方々ばかりで圧倒されました。

端っこで正座してお稽古させていただいていました。




――歌舞伎では女形をされていますが、今回は男らしい武士の役。演じてみていかがでしたか?


僕はどうしても自然と動きが柔らかくなるそうで、

所作指導の先生にも、もっとキビキビと動くように言われます。


でも、今度こそはと思ってものすごく胸を張って座ったら

「そこまですると気になるから、ちょっとお腹に力を入れて前かがみくらいでいい」と言われてしまって。


声も高いので、リハーサルで男らしく低い声を出そうと意識していたら、

若旦那から「ちょっとせりふが気持ち悪いな」と言われまして。


太い声を出そうとすると声が小さくなるので、ひげ面の五助とのギャップが気になるらしいんです。

なかなか思うようにいかず、緊張の絶えない数日を過ごしています。




――歌舞伎と映像作品は演じていてもまったく違うものと感じますか?


そうですね、同じお芝居でも違いがあります。

歌舞伎ですと、僕たちは腰元や仲居役をさせていただくのですが、

最初は盛り上げても、あとは主役のお芝居の邪魔にならないように、目も伏せがちに…と教わるんです。


いわば自分を殺すことを教わるので、映像作品では、自分を出すということが難しいですね。

それこそ女形なんて、立役(男性の役)の後ろに下がるように教わるので、

前に出ることがあまりないですから。


ただ、今回はそのスタンスが五助役にぴったりだと思います。




――「真田丸」ご出演について周囲の反応はいかがでしたか?


若旦那の許可を得て、最初に両親に話したのですが、すごく喜んでくれました。

ただ、やはり血筋なのでしょうね。母親も「なんか緊張してきたわ」と言い出して。

「ごめん。僕もものすごく緊張してる」と二人で緊張し合っていました(笑)。




――大河を経験されて、今後、映像作品で挑戦してみたいことはありますか?


宝くじに当たったようなものだと思っているので、これ以上はないです(笑)。

でも、目標を掲げるなら、もう一度NHKさんに出させていただけるようになることです。

選んでいただけるような役者になりたいです。











以上、片岡愛一郎を取り上げさせて頂きました。



















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最後までご覧頂き、ありがとうございました。








真田丸 あらすじに注意! 37話が一番面白い! [真田丸]









話が一番面白い!あらすじに注意!
































※ここから先は、かなりネタバレに近いものになっておりますので、

ご覧になる方はご注意をお願い致します。




















「真田丸」実は37話からが、一番面白くなります!



前回の放送では、佐助が石田三成と大谷吉継の

衝撃的な報告をして、一同が凍りつき

幕を閉じました。




37話「信之」では、その後の真田家が描かれます。

「信之」というタイトルもキーポイントです。

「おやおや」と思われた方もいらっしゃるでしょう。









それでは参りましょう!



慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)、昌幸・信繁親子は

上田城で合戦をしている間に、関ヶ原の合戦では

三成の西軍が敗北してしまったことを知ります。


西軍の総大将は毛利輝元であり、副将は宇喜多秀家でしたが、西軍は

石田三成を中心とする派閥を元に構成されたため、

三成が主導しました。


西軍の兵力は約8万、東軍は約9万でしたし、

布陣などにおいて西軍が勝っていると考えられていたのですが、

なぜ負けてしまったのか?


おそらくは石田三成の人望がないのと、なによりも淀君の反対により、

豊臣秀頼を西軍の大将にできなかったため、

西軍を結束することができなかった事に原因があるのでしょうね。


また小早川秀秋がに寝返ったことも大きな一因と言えますね。

ですが、東軍と内通していて、関ヶ原の合戦で動かなかった大名も

かなりも数がいたようです。










そろそろ、あらすじの本題に入りますね。



nobuyuki.jpg
引用:Yahoo!検索







関ヶ原での西軍敗北により、失意のうちに、

信繁と昌幸は徳川に降伏をしました。


まさか、この戦いに負けてしまうとは、

思いもよらぬことだったのです。



家康は当然のごとく、裏切った真田親子に対しては

怒り心頭、ぜったいに許さない姿勢を崩しませんでしたが、


信幸と忠勝による、必死の助命嘆願により、

何とか一命を取り留め、高野山への流罪に収まりました。


しかし、その代わりに家康が信幸に命じたのは厳しい条件でした。

その厳しい条件を信幸は受け入れたのでした。



一方、大坂に立ち寄った信繁は、

石田三成と大谷吉継の最期について知ることになります。



そして高野山に向かった信繁たち一行を待ち構えていたのは…

えっ?まさかの展開が待っています。









以上、真田丸 37話に関してお伝えさせて頂きました。


視聴者の皆さんこれからが、一番面白いところです。


37回「信之」も、是非ともお見逃しなく!




















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最後までご覧頂き、ありがとうございました。









真田丸 視聴率 35話~36話 関が原短い!皆さんのつぶやきを集めてみました。 [真田丸]






皆さんのつぶやきを集めてみました。










真田丸36話1.jpg
引用:Yahoo!検索








35話、36話と好評のうちに終わった真田丸ですが、


どうも、評価が二分していることが分かりましたので


少し調べてみました。



















真田丸35話と36話の視聴率の比較







9/4 放送 35話「犬伏」15.0%

9/11放送36話「勝負」 16.5%


この二回だけを見比べると、」明らかに視聴率が高くなっており、

視聴者の皆さんの期待が膨らんでいることが伺われます。


平均視聴率も17.22%と高い数字を残しております。


では、視聴者の皆さんは何を気にされているのでしょうか

さらに調べてみました。














関ヶ原シーンが短い時間描かれネットでも話題に

































































































































































































































































































と言った具合に関が原のシーン短かった事に、

twitterのつぶやきでは賛否両論で大盛り上がりでした。


関が原の合戦と言えば、歴史上でも転換期となった大事件です。

それをこうもあっさりと、合戦場面すら描かずに36話は終了しました。


さすがにこれはいかがなものかと、

みなさん大騒ぎするはずですよね。


わたくし個人的にも、関が原の合戦を楽しみにしていたので

36話を見終わったとたんに、拍子抜けしてしまいました。




ですが皆さん、ここに三谷幸喜さんの巧妙な作戦が仕掛けられていて

私たちはまた、三谷ワールドにまんまと嵌められてしまったのかも知れませんね。


どうやらこの関が原シーンは、大河ドラマ史上最短だそうですね。

計算高い三谷幸喜さんならではの演出ともいえるのではないでしょうか。


この世紀の大合戦を最短で描いてしまえば、

視聴者の皆さんの心を、鷲づかみにできる事も・・・。





おそらく、三谷幸喜さんに言わせれば

「これは真田丸だから」と真田目線から見た情勢を

懇切丁寧に脚本化し、ドラマ化したものに他ならないと・・・。




「真田丸」には、まだまだ見せ場がたっぷりと残っています。

この後、真田家がどのように時代の波に飲み込まれていくのか。

そうです。「真田丸」はまだまだこれからなのです!


今回は関が原を簡単に描いてきましたが

そう考えると、かえってワクワクしてきませんか?

私ならば、いますぐにでも続きが見たいくらいです。


「真田丸」、これからも楽しみが尽きませんね。
















以上、皆さんのつぶやきと共に、関が原シーンを考えてみました。













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真田丸 ネタバレ 36話「勝負」のあらすじをお届けします。 [真田丸]




第2次上田合戦の幕が切って落とされる!














真田丸 36話.jpg
引用Yahoo!検索











36話「勝負」のあらすじを少しだけ、お届けします。







犬伏での苦渋の決断を出した昌幸と信繁は、

信幸と別れ、徳川勢を迎え撃つために上田城へと向かいます。

やると決れれば、後は戦うのみです。


上田への岐路の途中、昌幸と信繁は沼田城に立ち寄るのですが、

沼田城では、稲は思いがけない行動に出るのです。

これは史実では語り草になっていることですが、一体何が起きるのでしょうか。


真田丸 36話稲.jpg
引用:Yahoo!検索







一方では、信幸は家康から上田攻めの先鋒を命じられるのです。

家康にしてみれば、信幸を試しにかっかっているのですが、

そこは信幸も心得たところ。さあ、どのように対処するのでしょうか。






そして徳川方は、初陣となるの秀忠が本多正信)とともに兵を進め、

上田城を包囲しかかります。

徳川についた信幸と迎え撃たなければならない昌幸・信繁の苦悩。


真田丸  36話2.jpg
引用:Yahoo!検索






しかしここで信繁は知恵をめぐらせて、ある事にひらめきます。

上田城に迫る徳川勢を撃退しつつ、信幸とは戦わないために

信繁が考えた策とは、一体どのようなものなのでしょうか。



















ですが、昌幸・信繁のもとに衝撃が走ります。

それは、佐助が知らせた絶望的とも取れる知らせです。

一体、何が起こったのでしょうか?!





以上、36話「勝負」のあらすじを、ちょっとだけお届けしました。



















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最後までご覧頂き、ありがとうございました。










真田丸 キャスト 江姫はこんな人物だった! [真田丸]

江姫はこんな人物だった!




1新妻聖子.jpg
引用:Yahoo!検索










「真田丸」に江姫が、登場しました。

新妻聖子さんが熱演をされていますね。


史実では、数奇な運命を歩んだ人物でしたが、

その生涯は、どのような波乱に満ちていたのでしょうか。


気になってみましたので、調べてみました。












その数奇な運命は「戦国の世」と「泰平の世」を生き抜いた人物







1おごう.jpg
引用:Yahoo!検索









お江こと、崇源院(すうげんいん、天正元年〈1573年〉 - 寛永3年9月15日〈1626年11月3日〉)は、

安土桃山時代から江戸時代初期の人物。一般には江(ごう)、小督 (おごう)、江与(えよ)として知られます。


浅井長政の三女で、母は織田信秀の娘・お市の方(織田信長の妹)です。

いわゆる浅井三姉妹の一人で、長姉の淀殿(茶々)は豊臣秀吉側室、

次姉・常高院(初)は京極高次正室。猶女に鷹司孝子がいます。


最初の婚姻相手は佐治一成だが、秀吉によって離縁させられてしまいます。

2度目の婚姻相手は秀吉の甥・豊臣秀勝で、娘の完子は、姉茶々の猶子となります。

3度目の婚姻相手が江戸幕府第2代将軍となる徳川秀忠です。







「崇源院」の諡号について


「崇源院」は諡号にすぎません。幼名(通称)は「督」で、

『太閤素生記』では「小督御料人」と記しており、


「小(お)」は「御料人」と対になる敬称であることから、

読みは「おごう」であると考えられています。


また、『柳営婦女伝系』などでは「督」と音が通じる「江」(読みは同じく「ごう」)として記されており、

これは生地の近江もしくは江戸に因んで宛てられたものと考えられており、

徳川秀忠に嫁ぐ際に「江」に改名された可能性もあります。


近世期の女性は、生まれたところなどに由来する号や位階を得る際などに諱を用いています。

お江は、将軍御台所時代に「江与」と呼ばれている他、江戸城北側の邸宅を表す「北方」と呼ばれたり、


将軍家世嗣正室を意味する「御新造」、将軍正室を意味する「御台所」や、

大御所正室の「大御台所」と呼ばれた事が資料が見られます。


近世期女性の諱は、幼名に「子」を付けるケースが多いようです。

江も諱として「江子」(読みは「ごうし」もしくは「えこ」「きみこ」か)を用いているほか、

没後に従一位を追贈された際には「達子」(さとこ/みちこ)が用いられています。



織田信長.jpg
引用:Yahoo!検索




生い立ちから佐治一成との婚姻



佐治一成.jpg
伝:佐治一成像
引用:Yahoo!検索


お江は、浅井長政の三女として近江国小谷(現・滋賀県長浜市)に生まれました。

母は尾張国の織田信秀の娘・お市の方です。


生年についてはいくつかの説がありますが、

天正12年(1584年)に12歳であったとする説(『幕府祚胤伝』)が

現在では定説とされています。


天正元年9月1日(1573年9月26日)、浅井長政が市の兄である織田信長と対立し、

小谷城が攻め落とされ、長政らは自害し浅井氏は滅亡してしまいます。

お江は母のお市の方や姉の茶々、初とともに藤掛永勝らによって救出されたそうです。




その後は織田信長の保護の下で岐阜城に留まり、

伊勢上野城主で信長の弟にあたる、織田信包に預けられたそうです。


一説には、お市の方と三姉妹は尾張国守山城主で

信長の叔父にあたる織田信次(江には大叔父にあたる)にとも言われております。


天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変により

伯父・信長が、家臣の明智光秀による謀反でこの世を去ると、


6月27日、織田家の後継者を決める清洲会議により、母のお市の方は織田家臣の柴田勝家と再婚して、

勝家の居城である越前国北ノ庄城へ移り、三姉妹も越前へ移されます。


その直後に、勝家は羽柴秀吉と敵対し、天正11年(1583年)には賤ヶ岳の戦いで北ノ庄城が落城し、

お市の方は、無念にも勝家共々自害して果ててしまいます。


お江ら三姉妹は北ノ庄を脱出して秀吉により保護されたとされたといわれてますが、

三姉妹を保護したのは秀吉ではなく織田信雄との説もあります。


この頃のお江は、天下人となった秀吉の意向により、

尾張国知多郡大野領主で信長の次男・織田信雄の家臣であり、

従兄にあたる佐治一成のもとへ嫁いでおります。


佐治氏は、一成の父・佐治信方が信長の妹(お犬の方)を室とした織田一族で、

秀吉は清洲会議後に尾張を領有した信雄の懐柔を意図していたといわれます。


江と一成の婚姻時期・事情については詳しい記録が見られませんが、

天正12年(1584年)に秀吉は小牧・長久手の戦いで徳川家康・織田信雄と戦い、


信雄方の一成は戦後に大野を追放され、江とも離縁したといわれる経緯から、

同年初めごろではないかとに想定されています。


一成は家康に渡船を提供した佐屋の渡一件により秀吉の怒りを買い、追放されたといいます。

また、一成は信雄家臣で秀吉に内通した星崎城主・岡田重孝に加担して

主君の信雄に追放されたとする説もあります。


文書上においては小牧・長久手以降にも一成の名は見られるものの、

天正13年(1585年)作と推定される『織田信雄分限帳』においては一成の名が見られず、

小牧・長久手後の論功行賞において一成は大野を追放されたのではないかと思われます。


一方で、近世の鳥取池田家に伝来する佐治氏の由緒書には、

一成との婚姻を、信長存命時の天正2年(1574年)としています。


この年には一成の父・信方が戦死し、信方戦死後にお犬の方は織田家に戻って

他家へ再嫁していることから、江と一成の婚姻は信長の意向により

織田家と佐治氏の関係を修復する意図であった可能性も考えられています。


また婚約のみで実際には嫁いでなかったとする説もあるほどです。

これらの説以外にも、江を佐治一成に嫁がせたのは秀吉ではなく、

織田信雄であったとする指摘もあります。


浅井長政.jpg
浅井長政
引用:Yahoo!検索




羽柴秀勝のもとへ再嫁した時期


その後、秀吉の実の甥で養子であるの丹波国亀山城主(京都府亀岡市)・豊臣秀勝の元へ嫁ぎます。

秀勝への再嫁時期は不明ですが、文禄元年(1592年)もしくは秀勝が秀吉の養子となった

天正14年(1586年)以降からから文禄元年(1592年)2月24日までの間と考えられています。



豊臣秀吉.jpg
引用:Yahoo!検索




なお、この頃には、長姉・茶々は秀吉の側室となり、

次姉・初は京極高次正室となっていると考えられています。


秀勝は秀吉の統一事業に従って九州征伐、小田原征伐に従軍し戦功を挙げていますが、

文禄元年(1592年)に秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)に従軍し、

在陣中の同年9月に朝鮮国の巨済島において病死してしまいます。


秀勝と江の間には娘の完子(幼名不詳)がおり、

完子は茶々の猶子として引き取られ、同格の摂関家である九条家に嫁いでいます。






徳川秀忠への再婚からの晩年が開けます。


お江は、文禄4年(1595年)9月17日には伏見で徳川家康の嗣子である秀忠に再婚します。

秀忠は天正18年(1590年)に上洛し、織田信雄の娘で秀吉の養女である小姫と縁組をしていたいましたが、


小姫の死去により婚礼には至らなかったため、お江との婚儀を果たしています。

秀忠との間には千姫・家光・忠長、和子など2男5女を儲けました。


大坂の陣では豊臣家が滅亡して姉の淀殿を失ってしまいます。

元和2年5月7日に養源院で淀殿・秀頼の菩提を弔っています。


淀殿が父・浅井長政の供養のために建立したこの養源院が、元和5年(1619年)に火災で焼失すると、

お江の嘆願により、元和7年(1621年)に幕府が再建を行っています。


寛永3年(1626年)9月15日、江戸城西の丸で死去、享年54。

死後は長男・家光によって増上寺(東京都港区)に埋葬されました。


京都市左京区黒谷町の金戒光明寺には宝篋印塔があり、

碑銘には「崇源院殿一品大夫人昌譽仁淸」。


和歌山県高野町の金剛峰寺には、五輪塔があり、

碑銘には「崇源院殿一品大夫人昌譽大禪定尼」。


また同寺院には六角宝塔内卵塔もあり、

碑銘には「崇源院殿源夫人昌譽大姉」とあります。



徳川秀忠.jpg
徳川秀忠
引用:Yahoo!検索

















お江の系譜です。



お江は、江戸幕府第3代将軍・徳川家光の母であり、

実は第108代後水尾天皇の中宮和子の母で第109代明正天皇の外祖母でもあるのです。


一方、家光、豊臣秀勝との間の完子、および秀忠との間の勝姫からは

大正天皇の貞明皇后に繋がります。従って第124代昭和天皇の先祖ということになるのです。







     九条幸家
豊臣秀勝  ┣━━道房  兼晴[注 3]
  ┣━━━完子  ┃   ┣━━輔実━幸教        
  江       ┣━━待姫     ┃
  ┃  松平忠直 ┃         ┃
  ┃    ┣━━鶴姫         ┣━━━┳稙基─(略)─尚忠━道孝━節子
  ┣━━━勝姫            ┃   ┃        ┃     ┃
  ┣━━┳家光━━千代姫      ┏三千君 ┃        ┃     ┃
徳川秀忠 ┃     ┣━━綱誠━吉通┛    ┃        ┃     ┣昭和天皇━今上天皇
     ┃    徳川光友           ┃        ┃     ┃
     ┗和子           二条宗熙─宗基━治孝━━━━┛     ┃
       ┣━━━明正天皇                    ┏━大正天皇
    後水尾天皇━━━━━━━━━━━━(略)━━━━━━━━━━┛





















お江の生んだ子女



・豊臣完子:文禄元年(1592年)生。父は豊臣秀勝。江の徳川秀忠への再嫁に伴い伯母・淀殿の養女となり、

九条関白家の九条忠栄に嫁ぎ北政所となります。


・千姫:慶長2年(1597年)、伏見城内の徳川屋敷で誕生。慶長8年(1603年)に豊臣秀頼に嫁ぐ。

豊臣家滅亡後の元和2年(1616年)、姫路新田藩主・本多忠刻に再嫁しております。


・珠姫:慶長4年(1599年)江戸城で誕生。慶長6年(1601年)

加賀藩100万石の第三代藩主・前田利常に嫁ぐ。第四代藩主・前田光高の母にあたります。


・勝姫:慶長6年(1601年)、江戸城で誕生。慶長16年(1611年)、越前藩主・松平忠直に嫁いでます。


・初姫:慶長7年(1602年)、伏見城(一説には、江戸城)で誕生。

伯母・常高院の養女となり、慶長16年(1611年)に鎌倉室町以来の名門で

松江藩主でもある京極忠高に嫁いでおります。


・徳川家光:慶長9年(1604年)江戸城で誕生。言わずと知れた江戸幕府第3代征夷大将軍。


・徳川忠長:慶長11年(1606年)江戸城で誕生。駿府藩主の祖となるも

寛永9年(1632年)に改易されてしまいます。


・徳川和子:慶長12年(1607年)、江戸城で誕生。元和6年(1620年)、後水尾天皇女御として入内し

(後に中宮)。第109代明正天皇の母となった方です。




徳川家光.jpg
徳川家光
引用:Yahoo!検索












お江の人物としての評価


淀殿(茶々)・常高院(初)・崇源院(江)のいわゆる「浅井三姉妹」は、

「戦国一数奇な運命を辿った姉妹」として知られています。

時代の波に流され続けてきた三姉妹です。


夫・秀忠は江と結婚して以降、秀忠の浮気もありましたが、

正式な側室は1人も持たなかったそうです。

江が秀忠より年上で、秀吉の養女という立場であったため、

律義な性格であったといわれる秀忠は、お江に頭が上がらなかったのでしょうか。


身分が高く歴史的にも重要な人物でありながら、

以外にも、容貌・性格などを含めた人物像を伝える確たる史料は多くはりません。

その為でしょうか、小説・ドラマなどのイメージは、

市の娘・信長の姪・淀殿の妹・浅井三姉妹の末子という姿や

夫・秀忠が側室を持たなかった事から推論され、

美貌を備え誇り高いが、ヒステリックで嫉妬深い性格の人物として描かれることが多いようです。


しかし、作家の永井路子氏は小説の中で、こう語っています。


彼女を母や姉たちほど美人でもなく機転が利く訳でもないが、

どんな運命に巻き込まれても平然と受け流し、

その度に魅力を増していく女性と、評しています。


お江が嫉妬深いと書かれている史料は確かに存在するのですが、

それは静(浄光院)による幸松(後の保科正之)の為の安産祈願文(静本人が書いたは不明)と、

その保科正之を主とする会津藩史である為、

お江との関係性を考えると、どちらも信憑性が高いとは言いきれません。

徳川将軍御台所(正室)で将軍生母となったのは、お江だけなのです。


また、ドラマなどにも登場する物語ですが、

現存する史料から、お江が次男の国松を一方的に可愛がり、

長男の竹千代を粗末に扱ったというような具体的な証拠はありません。

ましてや国松に将軍位を継がせようとした一次史料は伝わってはいません。

おそらくは後世に作られた逸話にすぎないと思います。


戦後、鈴木尚が中心となって行なわれた増上寺の徳川家墓所発掘調査の際には、お江の墓も発掘され、

その調査報告によるとお江は火葬にされており、

父・浅井長政、母・お市の方、長姉・淀殿らがおそらくは長身であったと推察されるのと異なり、

お江は、生前は小柄で華奢な女性であったようなのです。


特に注目されるのは、上腕骨には、肘の関節に肘頭孔という小孔というものががみられたそうです。

この小孔とは、普通の日本人にはなく、どちらかというと華奢な体型をもった人に現れるものだそうです。

ちなみに、増上寺に葬られた将軍一門で荼毘に付されていたのはお江だけです。


増上寺.jpg
増上寺
引用:Yahoo!検索








以上、お江の件についてまとめてみました。





















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真田丸 キャスト 最新情報!木村重成役にイケメン白石隼也さんに決定!。新旧仮面ライダーの競演が実現! [真田丸]



木村重成役に、イケメン白石隼也(しらいし しゅんや)さんに決定!。




白石隼也1.jpg
引用:Yahoo!検索









木村重成を演じる白石さんは、これまでテレビ朝日「仮面ライダーウィザード」で主演を務め、

NHK連続ドラマ「花子とアン」などに出演しています。


「ああ~!あの人だ!」と

おそらくご存知の方もいらっしゃる事でしょう。


白石隼也 花子とアン.jpg
白石隼也 仮面ライダー.jpg
引用:Yahoo!検索






















新旧仮面ライダーの競演が実現!




初代仮面ライダーと言えばこの方

藤岡弘初代仮面ライダー.jpg
引用:Yahoo!

そうです、藤岡弘、さん ですよね。

真田丸では、本多忠勝を熱演していらっしゃいますよね。



旧豊臣方では白石隼也さん

徳川方では藤岡弘、さん

新旧仮面ライダーの共演とは、これまた見ものです。


なかなか、NHKさんも粋な計らいですよね。




















白石さんが演じる木村重成とはどのような人物?





木村重成は戦国武将でもイケメンと賞賛される人物です。


木村重成2.jpg
引用:Yahoo!検索







木村重成は、豊臣家の家臣木村重茲の子といわれています。

母の宮内卿局(一説には右京大夫局とも)は豊臣秀頼の乳母となり、

重成は幼い頃から秀頼の小姓として仕えたといわれています。



重成は、秀頼の信頼がとても厚く、

元服すると豊臣家の重臣となり重要な会議などにも出席するようになります。

その証に豊臣姓までを与えられています。


大坂冬の陣では後藤基次とともに今福砦攻防戦を展開し、

数に勝る徳川軍と対等に戦い、その名を全国に轟かせました。

真田丸の戦いでも信繁と共に奮戦しています。


また、和議にあたっては秀頼の正使として

岡山で徳川秀忠の誓書を受け、

その進退が礼にかなっているのを賞賛されています。


慶長20年(1615年)5月、大坂夏の陣が勃発すると

豊臣軍の主力として八尾・若江(東大阪市南部)方面に出陣しています。


その際の逸話も残っております。

藤堂軍を破った重成は、散らばっていた兵を収拾し

昼食を取らせると敵の来襲を待ち構えます。


この時、家臣が「兵は疲れており再度戦えば敗北は必至」と諌めたが、

重成は「この程度の勝利はものの数ではない」と一蹴し、

敵陣へと突撃を開始するも、井伊軍との激戦の末に命を落としています。


首実検でその首級が家康に届けられると、

頭髪に香が焚きこめてあったので、

家康に、その覚悟を絶賛されたという話も残っています。






イケメン武将を、イケメンの白石さんが演じる。

まさに、ピッタリのはまり役だと思います。





















あらためて、白石隼也さんのご紹介です。







白石隼也4.jpg
引用:Yahoo!検索





生年月日:1990年8月3日(26歳)

出生地: 日本 神奈川県


身長:175 cm


血液型:O型


職業:俳優、タレント


ジャンル:映画・テレビドラマ


活動期間:2008年 -


事務所:ホリプロ


公式サイト公式プロフィール
http://www.horipro.co.jp/shiraishishunya/




主な出演作品


映画

『大洗にも星はふるなり』
『GANTZ』


テレビドラマ

『仮面ライダーウィザード』
『花子とアン』



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白石さんが真田丸に出演されることで

そのイケメン振りをいかんなく発揮されて

[黒ハート]女性ファンをメロメロ[黒ハート]にして欲しい者です。





以上、イケメン白石隼也さんの出演決定についてでした。



















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真田丸 直江状 内容を大公開! [真田丸]



真田丸 直江状 内容を大公開!









直江状 真田丸.jpg
引用:Yahoo!検索








直江状(なおえじょう)は、慶長5年(1600年)に上杉景勝の家老・直江兼続が、

徳川家康の命を受けて上杉家との交渉に当たっていた西笑承兌に送った書簡です。

関ヶ原の戦いのきっかけとなる会津征伐を家康に決意させたとされるが、

偽文書ではないが後世に大幅に改竄されたとする説もあります。













これが直江状だ!!










直江状.jpg
引用:Yahoo!検索







ウィキペデイアより~https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E6%B1%9F%E7%8A%B6


慶長5年2月、越後領主堀秀治は上杉景勝が武備を整えて謀叛の兆候があると訴え出た。

当時政権を握っていた五大老筆頭徳川家康は伊奈昭綱を派遣して上洛を勧告したが、

景勝は応じなかった。


3月には上杉家重臣藤田信吉が出奔し、景勝の叛意を訴えた。

家康は西笑承兌に「謀叛の噂が流れている」として早期の上洛を勧める手紙を書かせ、

昭綱と河村長門(増田長盛の家臣)に託した。


二人は直江状の記述によると4月13日に会津に到着した。

兼続は4月14日付で上洛を拒絶する手紙を送り、会津攻めは決定的となった。

この際に兼続が送った手紙が直江状である。


直江状の原本は未発見であるが、寛永17年(1640年)には最も古い写本である南部本が成立した。

承応3年(1654年)には京都の中村五郎右衛門が和装本の往来物として刊行するなど、

写本は広く流通した。


写本の内容はそれぞれ僅かに異なっている。

条文数は16ヵ条のものが最も多いが15ヵ条やまれに14ヵ条のものがある。


直江状そのものの存在は認める論者からも

後世の偽作と疑いをかけられる追而書は付随していない写本のほうが多い。


また当時使われない文法や不自然な敬語の使い方など

内容に疑問があるため後世の改竄・偽作とする見方もあるが、


増田長盛・長束正家等が家康に送った書状や『鹿苑日録』の記録から、

承兌が受け取った兼続の返書が存在し、それにより家康が激怒したことは確かのようである









いったいどんなことが書かれているの?




ウィキペデイアより~https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E6%B1%9F%E7%8A%B6



景勝卿の上洛が遅れていることについて内府様(徳川家康)は御不審をもっています。

上方では穏便でない噂が流れていますので、伊奈図書(昭綱)と河村長門を下らせました。


香指原に新城を作ったり、越後河口に橋を造ったりするのは特によくありません。

景勝卿がそう思っていても兼続殿が意見しないのは油断であり、内府様の御不審ももっともです。



一、景勝卿に謀叛の心がなければ神社の起請文で申し開きすることが家康公のご内意です。


一、景勝卿が律儀であることは太閤様(豊臣秀吉)以来家康公もご存じです。

釈明が認められれば問題はないと思います。


一、近国の堀監物(秀治)が再三謀叛の報告をされているので、

しっかりした謝罪がなければ釈明は認められないと思います。ご注意してください。


一、この春、北国の肥前(肥前守=前田利長)殿も謀叛を疑われましたが、

家康公の道理が通った思し召しで、疑いが晴れました。これを教訓としてご覚悟ください。


一、京都では増右(増田右衛門少尉=長盛)・大刑少(大谷刑部少輔=吉継)が

家康公への話をされているので、釈明は両人へ伝えてください。

榊式太(榊原式部大輔=康政)にも伝えられると良いと思います。


一、なんといっても景勝卿の上洛が遅れているのが原因ですから、

一刻も早く上洛されるように、あなた(兼続)がすすめてください。


一、上方では会津で武器を集めていることや、道や橋を造っていることが問題とされています。

家康公が景勝卿の上洛を待っているのは高麗(李氏朝鮮)へ降伏するように使者を使わしているからです。

降伏しなければ来年か再来年かに軍勢を出すことになります。

その相談もありますし、早く上洛して直接釈明されるべきです。


一、愚僧(承兌)と貴殿(兼続)は数年来親しくつきあってきましたから現状が心配です。

会津の存亡、上杉家の興廃が決まる時ですから、熟慮が大切です。

これは全て使者の口上にも含まれています。


頓首。     

豊光寺       承兌卯月朔日  

直江山城守殿       御宿所




とにかく、家康のやる事なすことをことごとく批判。

これを見たら、さすがに怒りまくります。
















直江状の朗読が聞けるんですよ!





何と、その直江状が聞けるんです!

しかも朗読は兼続 役・村上新悟さん!

これを聞き逃す手はありませんよね。




























家康と真っ向勝負を挑んでいく、上杉家。

関が原の合戦に繋がる重要な戦いが始まります。


『真田丸』ではどのように描かれるのでしょうか

これからの展開がますます楽しみですね。





























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