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『真田丸』第22話「裁定」はこの方に注目!板部岡江雪斎を演じる山西惇さんがスゴイ!!! [真田丸]

第22話ではこの方の演技に注目です!!!





第21話では

豊臣[exclamation]徳川[exclamation]北条[exclamation]真田[exclamation]

聚楽第で勢揃いしたところで終わりました。




22話では激しい舌戦が予想されます。

真田の主張が通るのか

はたまた北条に軍配が上がるのか


いったいどんな舌戦が繰り広げられるのでしょうか

秀吉はどんな裁定が下すのでしょうか

とても気になるところですね。




第22回「裁定」のあらすじです。



北条氏政からの沼田城明け渡し要求を断固拒否する真田。

北条を上洛させたい秀吉を判事役に、

原告・北条、被告・真田の戦国裁判劇の幕が上がります。


信繁は真田の代表として弁舌と胆力の限り北条に勝負を挑むます。

徳川方からは、切れ者の証人・本多正信も加わり、

一瞬の隙も許されない大論戦が展開されます。


そして秀吉がいよいよ裁定を下します。[exclamation×2]



武勇によって事を決する時代の終わりに

昌幸の胸に去来する寂しさが描かれます。



と言った感じです。





そこで今回はこの方のご紹介です。

板部岡江雪斎.jpg
引用:Yahoo!検索

板部岡江雪斎を演じる山西惇さんです。






板部岡 江雪斎(いたべおか こうせつさい)とは




板部岡 江雪斎(いたべおか こうせつさい)は

戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した

武将であり外交僧でもありました。


はじめ北条氏に仕え、北条氏滅亡後は豊臣氏

後に徳川氏の家臣となりました。

江雪斎は執権北条氏(北条時行)の子孫と言われております。


田中泰行という武士の子に生まれましたが

北条氏政の命により板部岡康雄の名跡を継ぎ

北条家での有能な右筆・評定衆として活躍しました。


また領内での寺社奉行として寺社の管理にも関わっており

鶴岡八幡宮にて北条氏康の病平癒の祈願行ったり

佐竹氏との戦勝祈願などに深く関わった人物のようです。


天正元年(1573年)、北条氏の盟友・武田信玄が死去した時

氏政の命により病気見舞いの使者として甲斐に訪問したときは

武田家の巧妙な作戦の前に影武者がいることを見抜けなかったそうです。


信玄の弟・信廉が影武者だったそうですが

何でも信廉は信玄と背格好・形相も相当似ていたそうで

武田家近習の家臣も見間違えるほどだったそうです。



後に、北条氏と武田氏との関係が悪化し

締結していた同盟が決裂した際に

北条氏は他の同盟国を探しておりました。


北条氏は勢いに乗る織田信長と同盟を結びますが

この時使者として赴いたのが江雪斎であり

その外交手腕をいかんなく発揮しました。


天正10年(1582年)、織田信長が本能寺の変で死去した時

信濃国をめぐって徳川家康と北条氏直が対立した際には

徳川氏との和睦交渉に奔走しております。


この時も外交手腕を遺憾なく発揮し北条氏は、家康の娘・督姫を氏直の正室に迎えることで

和睦を取りまとめて北条氏の危機を救っております。


江雪斎の外交交渉は常に北条氏を窮地から救い

幾度の北条氏苦難から主家を守り抜き

なくてはならない人物として重用されました。



その後、太田氏房の補佐として政務担当に辣腕を振るったり

天正17年(1589年)、北条氏と豊臣秀吉との間で対立が深まると

北条氏規と共に関係改善に全力を尽くしています。


このとき、秀吉は江雪斎の才能を気に入り

自ら茶を点てて与えたといわれている程

天下人からも賞賛されています。



小田原征伐による北条氏の没落後は秀吉の誘いで

御伽衆となり姓を岡野と改め豊臣政権下でも重用されて

数々の外交交渉に力を発揮したと言われています。


秀吉の死後は長男房恒が仕えていた徳川家康に臣従し

関ヶ原の戦いでも家康のそばにあり

家康の依頼で、小早川秀秋の説得工作にあたったそうです。



『北条五代記』に江雪斎の評価の高さを示す記録が残っています。

「宏才弁舌人に優れ、その上仁義の道ありて、文武に達せし人」

と記されている程の人物だったことがわかります。


また江雪斎は茶道にも造詣が深かったようで

戦国時代における文化人としても

高い評価を受けております。


豊臣秀吉と仲違いし中央を追われた山上宗二親交を持ち

小田原での厚遇に感銘した山上が

自著の秘伝『山上宗二記』を贈られています。


また愛刀の江雪左文字は、名刀として名高く

徳川家康に献上していますが

今もその刀は現存し、国宝に指定されています。



江雪左文字 刀.jpg
引用:Yahoo!検索







板部岡江雪斎を演じる山西惇さんのご紹介






山西惇.jpg
引用:Yahoo!検索




山西 惇(やまにし あつし)

1962年12月12日生まれ 京都府京都市出身。身長170cm、体重67kg。

血液型はB型。リコモーション所属。

俳優、声優 :ジャンル、テレビドラマ、映画

配偶者:既婚(離婚経験あり)

事務所:リコモーション

主な作品テレビドラマ

『相棒』

『Dr.コトー診療所』



山西さん実はすごいインテリなんです[exclamation×2]

偏差値77と言われる東大寺学園高校のご出身で

なんと京都大学工学部石油化学科を卒業されています。[exclamation×2]


卒業論文の題目は、『アルファアニシルネオペンチル系化合物のソルボリシスに関する研究』

と言う素晴らしい論文を発表されています。

クイズ番組などでご覧になった方もいらっしゃると思います。


2001年に、近藤芳正さんが中心に旗揚げした

劇団ダンダンブエノの全公演に酒井敏也ともに出演しており

2006年の公演では演出も手がけるマルチぶりも発揮されています。



趣味は料理だそうです。かなりの腕前らしいですよ。

お子様のためにもやし入りのお好み焼きを振舞うなど

子煩悩な方でもあります。



山西惇さんと言われても、名前でピーンと来ない方が多いと思いますが

ドラマ「相棒」「暇か?」が口癖でおなじみのの角田課長と言えばお分かりになる方も多いと思います。

相棒 山西.jpg
引用:Yahoo!検索



『真田丸』での板部岡江雪斎とは180度違う役柄を演じられてきましたが

これも山西さんの卓越した演技力の高さを証ですね。

ホント、素晴らしい方ですね。


『真田丸』で山西さんを見たときはビックリしました。

「相棒」のイメージが強すぎて

一切笑い無しの、重厚な役柄に度肝を抜かれてしまいました。







板部岡江雪斎VS真田信繁[exclamation×2]




北条家きっての切れ者である

板部岡江雪斎の前に信繁はどう打って出るのでしょうか[exclamation&question]

板部岡江雪斎VS真田信繁の真剣勝負の幕が開きます


板部岡VS信繁.jpg
引用:Yahoo!検索



山西さん演じる板部岡江雪斎と堺さん演じる真田信繁

このお二人の白熱した演技が見られると思うと

今からワクワクしてきます。



以上、『真田丸』第22話「裁定」はこの方に注目!板部岡江雪斎を演じる山西惇さんがスゴイ!!!でした。








最後までご覧頂き、ありがとうございました。




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